今年2018年3月中旬から週2回通い始めたオランダ語教室も早半年が経ちました。

最初の方こそアルファベットの読み方を一斉にリピートしたり、数字や曜日などの基本的な単語を習ったり、挨拶や簡単な自己紹介を覚えたり、余裕で付いていってるつもりでしたが、テキストに分からない単語が増えて行き、段々オランダ語以外禁止の流れになり、周りの若者達はガンガンオランダ語を話すようになっていくのに全く付いて行けなくなってしまいました。

そもそも英語も高校2年ぐらいで授業に付いて行けなくなり、一生日本で暮らすんやから必要ない!と未来の可能性を狭めてしまう言い訳を自分自身にして、勉強をおろそかにし、大学受験直前に慌てて英単語をひたすら暗記するぐらいしかやらなかったお蔭で、日本語以外全くしゃべられないまま今まで来てしまったので、44歳で別の言語を習得するというのは相当な試練になっているという状況です。

テキストはオランダ語が英語で解説されているのですが、その解説の英語の意味が分からないという二重トラップで、年齢的にも何度やってもドンドン頭から抜けていき、授業中もスマホのGoogle翻訳が手放せず、3歩進んで2.8歩ぐらい下がるといった状態です。

半年通って分かったのは、外国に住めば勝手に言語が習得出来るということは全くなく、しっかりレッスンを受けつつ、きちんと予習復習単語の暗記などを毎日コツコツと行い、実践の会話を重ねることで少しずつ身に付いて行くという超当たり前のことを思い知らされました。

僕の場合、日本語しか出来ないくせに少ない資金でオランダ移住してしまった為に、ビジネスは同じ日本人を対象にするしか選択肢はなく、オランダ語や英語で会話する機会はほぼない状態で、更に生活費を稼ぐことを優先することで予習復習などをやる余裕も生み出せないというスパイラルに陥り、結果週2回、1回約3時間のオランダ語レッスンのみで牛歩するだけとなっていました。

オランダ語クラスのおおよそのメンバーは、勉強熱心なイラン人のマーティン、ネギン、シャディの女性陣3人、ムスリム(イスラム教)でヒジャヴを纏った若い女性陣ハティチャとヌラミナ、ベネズエラの陽気なジョニーにインド人のミナと料理人のラビ、ハイチから来たというドレッドヘアーの若者ジャネット。おしゃべり好きな中国人主婦のニコに家が広いらしいロシア人のユリー、ひょうきんなブラジル人主婦のカロリナに旦那さんがデルフト工科大学にお勤めの日本人奥様Aさんに最年長(途中から)の僕というメンバーで約半年やって来ました。

他にも別のクラスに移ったり途中からいなくなったり加わったりして、全員の出身国までは把握出来ませんでしたが、かなり小規模なオランダの移民の縮図を表しているかの様でした。

共通言語はやはり英語で、僕以外ほとんどのメンバーが休憩時間は流暢な英語で会話していて、「どこで英語を身に付けたの?」と質問したくてもどう言えばいいか分からず、やきもきすることが多く、日本人のAさんにはしょっちゅう「今何て言ってるんですか?」とか「宿題はどれですか?」とか「ヤバイ、さっぱり分からないっす!」と頼りっぱなしでした(笑)

先生は火曜日はおばあちゃんの超ベテラン先生アリーン。木曜日は明るいおばちゃん先生ヨーカ。

夏休み前にはヨーカ先生が引退するということで、ジョニーの提案で先生の送別会が企画され、なぜここにしたんだ?というデルフトの街外れの大きな公園の入口からかなり歩いた所にベンチとテーブルがポツンとある湖に面した広場が会場で、それぞれの国の食べ物などを持ち寄って手作り送別パーティーが執り行われました。

ほとんどのメンバーが出席し、みんな手作りでそれぞれの国の料理などをしっかり作って来ており、どれも美味しく頂きました。

事前にWhat’s Appという電話番号で繋がるLINEの様なSNSアプリで、英語やオランダ語でやり取りしながら当日を迎えましたが、僕はなかなか付いて行けず、時々Google翻訳に放り込んだりしていましたが、皆があんなにきっちり料理を持ち寄るとは理解しておらず、スーパーでコーラやオレンジジュースなどを買って行ったので、妻に醤油で味付けした和風の料理を用意してもらえば良かったかな?と焦りましたが、飲み物が少なめだったので結果オーライでした(笑)

事前に教室で撮影した記念写真と他のクラスに移ったメンバーの写真などをメンバーの誰かが合成して印刷し、それぞれの国の言葉で先生へのメッセージを寄せ書きした色紙と一緒に額縁に入れてヨーカ先生にプレゼントしました。

パーティーではインド人のラビがオランダ語の歌を披露したり、先生の後ろにみんなで並んで一人一人が習いたてのオランダ語で自分にまつわる自己紹介をして先生が誰か当てる即席ゲームをやったり(僕は裏声で女子に成り済ましたのですが、すぐ当てられてしまいました。)全然みんなと会話出来ない状態が歯痒かったのですが、こんな異文化交流は生まれて初めてで新鮮でした。

クラスでは僕が断トツに付いて行けていないのは誰の目からも明らかで、僕が5人の娘の父親であり、家で勉強する時間があまりないことをみんな理解してくれていたり、ヨーカ先生が「日本語とオランダ語はあまりにも違いすぎるから非常に難しい。」とみんなに説明してくれたりしたお蔭で、最年長の小さな日本のおじさんは最もオランダ語が出来ないという落ちこぼれポジションを確立し、先生も僕でも答えられそうな簡単な問題を当ててくれたり、僕が答える時はみんなから「イケるのか?」という緊張感が伝わって来たり(笑)ひょうきんなブラジル人主婦のカロリナが事あるごとにに「トゥギャザー!」(一緒にがんばろう!)と胸をドンと叩くジェスチャーをしてくれたり、9月に行われたテストの5人一組の会話テストでは、終わって教室の外に出た途端、待機していたメンバーが「どうだった!?」と一斉に僕の顔を見てくれたりと、心地良いポジションでいられた、とても良いクラスでした。

残念ながらテストの結果は読み問題以外は及第点に届かず、アリーン先生との個人面談でももう一度一から初心者クラスを受講させて欲しいという意志を伝え、クラスの最終日にはカロリナに「I miss you.」と言ってもらえたりして、みんなは次のレベルのクラスに行く中、落第が決定してしまいました。

後日What’s Appグループでは次のクラスに合流した新しいメンバーが追加されたりして、もうみんなは新しいクラスが始まったんだなぁと少し寂しく思いつつ、今月末から始まる新たな初心者コースへの合流の為、僕はしばしオランダ語教室はお休み期間となっています。

落ちこぼれつつも、一応約半年間オランダ語を習ったお蔭で、オランダ語の文章構成が何となく分かる様になったり、ほんの少しだけ会話の中のオランダ語の単語を拾うことが出来ることがあったりという状態にはなりましたが、この調子ではオランダ語で会話出来る様になるのは遥か遠い未来なのは間違いなさそうです。

引き続きがんばります!


カテゴリー: 生活

Tomo Murakami

英語できない、手に職もない村上家の主、4姉妹のパパが2016年10月末より無謀にもオランダに家族で移住し、2018年4月オランダで5人目の女の子が生まれた奮闘記録第二章

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